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馬の体
【馬の耐暑性と耐寒性】
気候の変動により年々、夏の暑さが過酷となる中、JRAからは今夏の新潟開催における発走時刻の変更など、さらに踏み込んだ暑熱対策の実施が発表されました。酷暑の中、また極寒下において、馬の体には実際のところどのような症状が表れるのでしょうか。山嵜獣医に伺いました。
様々な研究の結果、データが揃い、効果的な対策方法が見い出されつつもある
JRAは一部の夏季新潟開催について、新たな暑熱対策を講じることを発表した。具体的には、最終レースの発走時間を繰り下げ、気温が特に高い時間帯である11時30分頃~15時10分頃の競馬を休止するというものだ。
「ここ数年、夏の暑さはさらに過酷になっていて、馬にとってはとても厳しい環境でした。今回のこうした取り組みは、理にも適っていますし、大変良いことだと思います」
暑熱対策については、JRAはこれまでも様々な対策を行ってきた。パドックや退避所のミストファンの設置や、パドックの周回時間の短縮といった、ファンにも見えるもののほか、レース前の飲水や、レース後の検量室前から厩舎に向かう馬道の上にレインシャワーを設置するといったものなどが挙げられる。こうした対策は、これまで様々な媒体でも報じられてきた。
「以前は、レース後のクールダウンとして、馬装を外したあと、しばらく歩かせたり、馬房の中で安静にさせる、ということが有効だと思われていました。しかし、JRAの研究の結果、暑熱環境においては、これらを行っても、深部体温はほぼ下がらず、クールダウンの効果は低いことがデータでもわかりました。それよりも、身体全体に水を徹底的にかけることが深部体温の冷却には効果的であることがわかり、競馬場にもそういった環境を整えていただけるようになりました。」
加えて、夏場のレース後に重要なのは、塩分の補給である。
「馬は人間の4倍のナトリウムを消耗します。しかも、人間は汗をかいても、皮膚から塩分を取り込めますが、馬はそれができません。また、喉の渇きを訴えない馬も多いんですね。飲水を促すためにも、レース後は飼い葉に塩を多めに入れたり、電解質のサプリメントを経口で投与させることを推奨しています」
ただ、意外なことに、熱中症のピークは、いわゆる〝夏競馬〟ど真ん中の時期ではないそうだ。
「実は暑くなり始め、6~7月ぐらいに症状が出ることが多いんです。理由としては、暑さに馬の身体が順化していないからなんですね。早い時期からの夏バテは長引きやすい感覚がありますので注意が必要です。
兆候としては、馬のヤル気が無くなる、元気消沈、飼い葉の食いの低下、馬体全体も角張った感じになります。汗のかき方が局所的になったり、汗を全くかかなくなる馬もいます。そうなると回復させることが難しくなり、秋、冬まで回復に時間がかかってしまうことにもなりかねます。また、暑い時期は高体温、脱水状態が継続することで抹消の血行が悪くなり、蹄葉炎を発症してしまうこともあります。
その一方で、特に3歳未勝利馬は、この時期に結果を出さないといけません。以前のように、秋の福島開催まで未勝利戦があれば、休ませるのが一番なのですが、そうはいかないわけですから、私たちとしても、体調の管理とのせめぎ合いになってしまうことも少なくありません」
そうならないためにも、早い時期からの予防は重要になってくる。
「調教時から前述した冷却や、サプリメントを投与することはもちろんで、馬個々の体調を毎日注意深く観察することが重要になります。また、3週間ぐらいかけて暑熱環境下でトレッドミルなどの調教を行い、暑熱順化させるということも一定の予防効果があると言われています。」
しかし、これだけ予防しても、突然体調を崩す馬も出てくる。特に、パドックからレースに向かってから変調をきたす馬も少なくない。
「例えば、ものすごく暑い日に、涼しい時期の感覚で、返し馬の際にしっかりウォーミングアップをしてしまったことが急な体調悪化に繋がることもあります。また、同じように暑い日に、突然の大雨が降りますと、馬場が冷えるのではなく、地面から湯気が立って、それこそサウナのようになってしまいますので、それも馬にとってはいいものではありません」
思い出されるのは昨年のアイビスサマーダッシュ。1番人気だったファイアダンサーがしんがりに敗れ、その後の陣営からは熱中症の症状が見られたというコメントが発せられたということがあった。
「馬を送り出してしまってからは、騎乗している騎手の申告がない限り、体調が悪そうでも獣医は診ることができません。人気を集めているような馬ですと、なかなか簡単ではないとは思いますが、騎手の皆さんはそうした兆候が見られた場合、どうか馬のことを考えて申告しJRAの判断を仰いで頂きたいです。馬主さんも、除外になったとしても、愛馬の命に関わることですのでご理解をして頂きたいところです。」
ところで、夏に関しては熱中症が課題としてあがるが、冬場の課題はどうだろうか。
「馬はもともと寒さには強い動物です。暑い時期の熱中症に相当するような心配は北海道の様な寒冷地以外ではないですね。むしろ、しっかりとウォーミングアップをすることで、怪我を防止することにも繋がります。
敢えて挙げるなら、足元の繋皹(けいくん)の悪化などがあります。寒い時期はお湯で馬体を洗う為、脂分が抜けやすく、皮膚炎を起こしやすくなります。この皮膚炎に馬場凍結予防の塩化カルシウムの不凍剤が付着すると悪化することがありますので注意が必要ですね。」
また、〝夏馬〟という言葉もあるように、熱中症など微塵も感じさせない、夏に調子を上げる馬も珍しくない。
「これは個体差でもありますが、夏でも筋肉がやわらかくなりすぎず、常にいい硬さで張っている馬によくみられますね。休養を入れることで急にガタッと体調が落ち(俗に「全体的に緩む」などと表現されます。)なかなか良いコンディションが戻らない馬もいますので、しっかりとケアしながら、状態をキープした方が良いこともあります」
今年導入される暑熱対策は、効果と同時に売上への影響も気になるところだ。
「獣医としての立場、そしてアニマルウェルフェアの観点からは、北海道も酷暑になってきていますし、究極的には、夏は香港のように休んでしまってもいいと思います。ですが興行としての面もあります。JRAのこれからの取り組みに期待しています。我々も愛馬の体調管理にご協力出来るように日々精進していきたいと思っています。」