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特集

創設から20年!
「福島ダート1150メートル」誕生の秘話

JRA全10場のなかで、福島競馬場だけにある「ダート1150㍍」コース。
2004年(平成16年)の秋開催に初めて実施されてから今年で20年となります。
全国唯一の条件が福島に設立された経緯や、この条件についての今後の展望などをJRA競走部に伺いました。

※2023年12月20日に取材を行いました。役職名等は取材時のものです

2004年秋に運用が始まってから、今年でちょうど20年となる福島ダート1150㍍。日本で唯一、ここにしかない距離は、いかにして生まれたのか。当時の事情を知るJRA職員にお話を伺いながら、あらためてその設立の経緯を振り返る。

出走困難を解消するための一案として提案されたのが1150㍍だった
JRA競走部番組企画室室長の高松知之氏

1150㍍の提案に「実現は難しいと思っていた」と話すJRA競走部番組企画室室長の高松知之氏

福島にダート1150㍍が作られた直接のきっかけは、出走困難、いわゆる除外馬問題を解消するためだった。
JRA競走部番組企画室の室長を務める高松知之氏が係長として番組編成に携わるようになった2002年、JRAの重要課題の一つが、この出走困難だったという。
「2003年に新馬戦を一走化したり、他にも出走馬の決定方法を変えるなど問題解消のためいろいろやっていく中で、根本の出走可能頭数を増やすためのコースの見直しを、10場すべてで行ったのです」
流れとしては、まず東日本馬主協議会で出走困難の問題が取り上げられ、特別調査委員会が設けられた。委員会や調教師、騎手などの意見を踏まえ、各競馬場の出走可能頭数を増やすコースの見直し案が作られ、2002年7月の会議にかけられた。福島から提案された案の一つが、ダート1150㍍の創設だった。
出走可能頭数は幅員、最初のコーナーまでの距離、コーナーの大きさで決まる。当時、福島のダートは最大12頭の1000㍍と13頭の1700㍍があり、幅員拡張でそれぞれ2頭ずつ増えるが、逆に言えばそれが限界だった。
ただ、調査の結果、1000㍍のスタート地点は向正面だが、2コーナーにシュート部分を設けて最初のコーナー(3コーナー)までの距離を延ばした新コースを作れば、16頭まで増やせることがわかった。
問題は、何㍍延ばせるのかだった。

JRA馬事部生産対策室の小林弘毅氏

JRA馬事部生産対策室に籍を置く小林弘毅氏。福島ダート1150㍍は氏の提案からすべてが始まった

JRA馬事部生産育成対策室に籍を置く小林弘毅氏は、2002、03年に福島競馬場の業務課長を務めており、当時の馬場課長とともにこの素案を作成し、本部の会議にかけた。いわば1150㍍を提案した一人だが、この数字が導き出された理由は至ってシンプルだった。
「1200㍍を取るには2コーナー後ろのスペースが足りなかったんです。限界まで取った結果が1140でも1160でもなく1150㍍だったということです」
ちなみにもう少し短く、キリの良い1100㍍でも出走可能頭数を増やせたが、シュート部分の芝スタートから2完歩ほどでダートに入るために非常に危険で、とても採用はできなかった。

当初は皆が懐疑的な条件だったが、予想外の展開でゴーサインが出る

そうやって導き出した最適解のはずだったが、会議での反応は悪かった。小林氏が「みんなからボロクソに言われました(笑)」と振り返るように、プレゼンが終わると、ハンデキャッパーやトレセンの競走課などから口々に懐疑的な意見が飛び交った。
高松氏も、番組編成の立場から「予想ファクターとしての走破タイムが比較しづらいという、お客様に対しての情報提供の面からも、実現は難しいと思っていました」と明かす。
ところがこの後、そんな空気は一変する。会議を進めるため、とりあえず他の競馬場の説明も聞いたところ、東京競馬場から「ダート1300㍍新設」という驚きのプランが出てきたのだ。
当時、東京は工期を分けた大規模な改修工事が始まっていたが、それによりダート1200㍍で最初のコーナーまでの距離が短くなり、出走可能頭数が維持できない見込みとなっていた。その解決策が、スタート地点を100㍍下げた1300㍍の新設だった。
高松氏も「みんなびっくりして、そこからはもう福島は置いといて、東京の話にかかりっきりでした」と笑う。
じつは会議では、他の競馬場からもさまざまな提案があった。1150㍍や1130㍍なども出されたが、どれも出走可能頭数が1頭ほどしか増えないため、却下されていた。
しかし福島は違った。向正面の芝とダートの間に約9㍍の敷地があり、それを利用して向正面は外側に5㍍、正面は内側に3㍍、ダートの幅員を拡張する余地があったのだ。その効果をあわせることで、ダート1150㍍では出走可能頭数16頭が見込めていた。
結局その2ヶ月後、9月の会議で、福島ダート1150㍍にはゴーサインが出された。小林氏は「2ヶ月で、急に温度感が変わっていました」と笑って振り返る。
「東京がやるんだから、もう他も中途半端な距離だとしても実を取るべきという空気になっていましたね」
ちなみに同じタイミングで、同じ出走困難解消の目的で提案され、翌年の2003年に実現したのが「春の福島開催」だった。当時、春競馬の第3場は小倉や中京で、関東圏は5月の新潟まで開催がなく、それも出走困難の一因となっていたのだ。
4月の開催は、観光の目玉が夏と秋だけでなく春にも、という意味で、福島市にとって歓迎すべき話だった。
また福島のファンにとっても、福島牝馬ステークスが創設され、同じ3歳未勝利戦でも秋以上に先々への楽しみを感じられる馬が揃う春の開催は、まさに待ち望んでいたものと言えた。

ダートのコース図

ダート1200㍍を取るには2コーナー後ろのスペースが足りなかったが、1150㍍ならばフルゲートで16頭が出走できるコースを作ることが可能だった

そして、初めてのレースへ
福島ダート1150㍍で記念すべき最初のレースとなった2004年10月23日・2R3歳以上500万下(牝)。

福島ダート1150㍍で記念すべき最初のレースとなった2004年10月23日・2R3歳以上500万下(牝)。14頭立てで、中舘英二騎手が騎乗したトーセンサニー(1番人気)が逃げ切った

2004~06年に福島競馬場業務課長を務めた後藤博英氏

2004~06年に福島競馬場業務課長を務めた後藤博英氏。新コースの実施は騎手の安全を守るのも重要な課題の一つだった

工事は2004年春の開催中の4月13日に着工し、半年後、秋の開催前の10月13日に竣工した。

2004~06年に福島競馬場の業務課長を務めたのは、JRA馬事部生産育成対策室の後藤博英氏だ。小林氏の後を引き継いで工事と運用開始に携わった。
後藤氏によると、工事は夏も含めて開催を止めず進めたため、スケジュールがかなりタイトだったという。
「レースで使用しない部分は開催の合間に先に進めることができましたが、シュート部分は夏が終わってからの3ヶ月で一気に作りました」
新設のシュート部分は、2コーナーの合流部分と傾斜や高さを合わせるのに苦労があったという。芝も3ヶ月では育たないため、レースではあまり使用されない芝コースの一部分を移設し、そこに養生地からの芝を張ったりもした。
後藤氏が「相当な突貫工事でした」と話すように、工事車両の出入りも激しかったが、周辺の住民からの苦情は驚くほどなかった。後藤氏が「全10場で周辺住民がいちばん競馬に好意的だと感じます」と言うと、小林氏も「図抜けてそうですね」と頷き、こう続けた。
「郡山から競馬を持ってきた経緯もありますから。福島市民は自分たちの競馬場という意識がすごく強いんです」
こうして完成した福島ダート1150㍍は、2004年10月23日、秋の福島開催初日でついに運用が始まった。しかしフルゲートは16頭ではなく、14頭でのスタートだった。ジョッキー側からの「まずはレースで騎乗してみて、安全が確認できてから頭数を増やしたい」という要望に応えた形だった。
そのジョッキーたちの意見をまとめていたのが坂井千明騎手(当時)だった。美浦騎手クラブの馬場保全委員長を務め、常に騎手の窓口としてJRAとの間に入ってくれた坂井千明騎手を、高松氏は「馬場の神様でした」と振り返る。
「騎手の安全とJRAのやりたいことのバランスを、すごくよく考えてくださってくれました」
高松氏によると、坂井千明騎手が14頭からのスタートを主張したのは、初めてダート1150㍍を実施することになる秋の開催は、3歳最後の未勝利戦が中心で、乗り難しい馬も多いことが予想されるからでもあった。「でも本部は、何言ってんの、16頭って話だったでしょ!となりますからね」
それをなんとか14頭からの開始でまとめたのが現場の後藤氏だった。坂井千明騎手とは美浦勤務時代からの仲だった。
坂井千明騎手は、ダート1150㍍戦が実施される直前の9月30日付けで騎手を引退。しかしその後も福島の馬場を気にかけ、開催があるごとに後藤氏の相談に乗ってくれていた。

福島ダ1150㍍・騎手勝利数と福島ダ1150㍍ 枠番別成績(※頭数を問わない全レース)と福島ダ1150㍍・中山ダ1200㍍ 枠番別成績比較(2005.10.22~2023.12.28 16頭立て)

こうして14頭で始まった1150㍍は翌春からフルゲート15頭に、そして1年後の秋、無事16頭となっている。
これと同様に、慎重に様子を見て始められたのが、2歳新馬戦だった。
同じ芝スタートの中山ダート1200㍍と比べても芝の部分の距離が短い福島ダート1150㍍は、レース未経験の馬にとっては危険ではないかというのが騎手側からの意見だった。
芝とダートの境目で馬が驚かないよう、緑色の砂や草を撒くなどの工夫も施しながら、様子を見ることなんと10年。このコースで2歳新馬戦が行われるようになったのは、2013年夏の開催だった(と同時に、この開催から「福島ダート1000㍍」のレースは完全に実施されなくなった)。
中山ダート1200㍍との類似性は距離や同じ右回り、芝スタートを考えればある意味、当然で、高松氏も「関係者からも、ダート1000㍍より、その後に中山で使う上での物差しになるとはよく言われます」と話す。
ちなみに中山ダート1200㍍と、福島ダート1150㍍は、ともにスタートの芝部分は外の方が長いが、福島1150㍍では、内外の有利不利がほとんどないことがデータに表れている。
また、驚くべきは騎手別成績で、なんと20年のうち半分の期間しか乗らずに引退した中舘英二騎手が、いまだ勝ち鞍数では圧倒的なトップとなっている。

ダート1150㍍実施から19年目の2023年夏。同条件で初めてのオープン競走として実施された安達太良S(2023年7月23日・11R)

ダート1150㍍実施から19年目の2023年夏。同条件で初めてのオープン競走として実施された安達太良S(2023年7月23日・11R)

けっして特異ではなく、短距離路線でしっかり機能する条件となる

お客様への情報提供が十分にできないという理由で、福島ダート1150㍍は、まず下級条件から始まった。
最初の開催では500万下平場まで。特別は行われていない。
その後は、翌春に500万下特別、夏に1000万下特別を実施と、慎重にクラスを上げていった。
次は、そこから飛んで14年後の2019年。降級制度廃止で上級条件のレース数が増えたのを契機に、福島ダート1150㍍に3勝クラスのやまびこステークスが生まれた。
そして2023年夏、ついに初のオープン競走となる安達太良ステークスが行われた。ちなみに福島1150㍍と同時期に誕生した東京ダート1300㍍は、まだ3勝クラス止まりだ。
安達太良ステークスを勝ったチェイスザドリームは、年末にはカペラステークスに出走し、2着と好走した。中山ダート1200㍍のGⅢだ。
過去にも福島ダート1150㍍の勝ち馬からは、アイビスサマーダッシュのサチノスイーティーやガーネットステークスのタイセイアトム、JBCスプリントのダンシングプリンスといった重賞ウイナーが出ている。
高松氏は「1150という数字は特殊ですけど、レースは決して特殊ではなく、ダート短距離路線に馴染んでしっかり機能しています」と話す。
小林氏は、福島ダート1150㍍の存在がここまで浸透したのは、頭数でもクラスでも無茶をせず、大事に育ててきたからだと考えていると言う。
「あとはもう、福島の皆さんが応援してくださったからです。本当に、福島の皆さんの競馬愛は素晴らしいです」
福島ダート1150㍍は、現場ではよく「イチイチゴ」と呼ばれる。
20年かけて育った「イチイチゴ」は、まさにこれから、大きく熟れた実を付けようとしている。

福島ダ1150㍍戦で勝利実績のあるJRAダート重賞連対馬(~2023.12.28)と福島ダ1150㍍戦勝馬の他コースでの勝利数(~2023.12.28)
ダンシングプリンス

彦星賞を1分6秒1で勝ち、現在も福島ダート1150㍍レコードホルダーとなっているダンシングプリンス。のちにJBCスプリントを制した本馬のような活躍馬が、これからも出現していくことだろう

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